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2014年11月19日

写真・旅行記 / ニジェール / Niger 西アフリカ旅行(2/2ページ)

ニジェールの国旗・地図・写真


ニジェールの写真

ニアメの子供 ニアメの炉辺でヤギの肉を焼く

ニジェールは、アフリカの中でも最貧国の1つです。唯一の期待は、世界第3位の埋蔵量を誇るウラン鉱山です。20世紀末までは日本の政府や民間企業が鉱山採掘のため、よく見られたそうですが、21世紀になり原子力活用への世界的批難が大きくなり、日本人もほとんど見なくなりました。近年の石油高騰問題を受け、原子力発電への期待から、ニジェールのウラン鉱山の再開発が国では期待されています。アガデス地方のアクータ鉱山などが有名です。ニジェール人なら「ウラン」「日本人」という言葉はメジャーワードです。

彼らの食事状況は貧しく、下の写真のように、アワかヒエを潰して煮た固まりにヤギのミルクをかけて砂糖を少量入れた粗末なモノです。都市部では、氷を入れて冷たくするというのが贅沢と言えます。

ニジェールの代表食 トゥアレグとハーフの子供

ニジェールの私の友人はトゥアレグ族です。トゥアレグと言うと「砂漠の戦士」と呼ばれ、北部アガデスを中心にサハラ砂漠を縦横無尽にラクダで移動することで、他の部族からは畏怖の念で見られています。昔は砂漠のキャラバン隊や盗賊で、今は、北部の反政府ゲリラ活動でも指揮を取っています。そのトゥアレグの友人の家(ニアメ)では、家の中もトゥアレグ様式です。食事は贅沢でしたが、ベッドは民族ベッドでした。ベッドの材料の端が丸いのは、分解して移動できるようになっているとのことです。流石、砂漠民族。

ニジェールの贅沢料理 トゥアレグ族伝統のベッド

アガデスに行く途中、タウアを過ぎた辺りで、珍しい形の家をした集落に立ち寄りました。恐らく、牛かヤギかラクダの糞を利用して家状に固めたものです。写真では分かりにくいのですが、結構大きかったです。人の3倍以上の高さがある家もありました。キレイな円形状に造られていて非常に興味を魅かれました。

タウア近郊の集落 家であり物置であり

アガデスまでの道のりは遠く、そう簡単に着きません。集落や川があると景色も楽しめるのですが、ほとんどは、草原か礫砂漠です。

スナ砂漠はアガデス以北のサハラ砂漠エリアになります。

ステップ地帯の村 屋根が付いているのも

昼食のため休憩したときのスナップです。木の下の木陰で、子供達が集まり、寺子屋のように勉強していました。のんびりしていて微笑ましい空間です。
この後は、アガデスに入る前に、友人の所有する牛・ヤギを、放牧させている様子を見に行くことになりました。トゥアレグ族の知り合いに放牧をさせているとのことでしたが、移動する動物の集団を見つけるのは、ほぼ不可能に思えました。

立ち寄った村の子供たち ニジェールの砂漠では、ヒトコブラクダ。

メイン道路から外れ、いろんな人に放牧グループを訪ねながら、数時間が過ぎていきます。途中で、歩いている親子を車に乗せてあげたり、水の補給のために井戸を探したり、どんどん時間は過ぎていきます。井戸は、日本政府の援助で作られた簡単な井戸が見つかりました。ヤギ数頭にロープを引っ張らせて、深い深い井戸から水を汲み出します。汲みだした水を入れる容器も、ヤギで作られていて驚きました。ヤギの形(首はナシ)そのままでヤギの革を利用した水入れ容器でした。素晴らしい!

途中で車に乗せてあげた女の子 ヤギの革で作った水タンク

友人の家畜の放牧代行をしている家族をやっと見つけました。右下の写真です。放牧生活を低賃金で行っているので、生活は極貧そのもので、お金も持っていません。お金を使えるような店や街とは、遠くかけ離れた土地で生活を送っていました。ステップ地帯での移動放牧なので、家財道具は少なく、ベッドも簡易なもので、屋根という概念はありません。周り数十キロは、本当になにもありません。何にもナシ。ここで、2泊しました。彼らが使うベッドを借りて寝ましたが、野犬が夜中にグルグル徘徊していて、なかなか熟睡とはいきませんでした。昼間は暑くて死にそうでしたが、夜空には満点の星が楽しめました。天の川が目立たない程の夜空は初めての経験でした。

砂漠での生活は厳しいのです 砂漠の放牧生活に屋根は必要ありません

内戦の歴史を持つニジェールでは、銃器が流通しています。今回の移動には、友人の弟が同行してくれました。以前は反政府側で戦っていたのですが、内戦が終わり、現在では政府の警察軍のような部隊に所属しているとのことでした。キサクなオジサンです。でも、現政府も財政が厳しく、3ヶ月ほど給料が支払われておらず、仕事も出てないとのこと。また、揉めそうな雰囲気です。
暇なので、オジサンの持つAK-17カラシコフで、射撃競争をしました。もちろん、オジサンはメチャクチャ上手かったです。遠くの木に止まっている鳥に当てて、夕食のおかずにしていました。私には、その鳥でさえ見えなかったのですが。

銃は身を守るため ニジェールの道は真っ直ぐ続く

ニジェールの旅行記

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No.14  2001年 10月 16日 ニジェールの電話屋

 


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